名作あらすじ「賭博者 ドストエフスキー」
今回は、ドストエフスキーの「賭博者」をとおして、将棋を「賭け」という観点から考察してみます。
あらすじ
主人公は、ロシアの「将軍」の住み込み家庭教師の「アレクセイ・イワーノヴィチ」。物語は、主人公の手記という形をとり、「将軍」一家が「ルーレテンベルク」(ルーレットの町という意味の架空の町)に滞在するところから始まります。
文庫本の本文紹介にも記載がありますが、本書の基本的な筋は、主人公がルーレットで身を滅びしていくというものです。賭けがテーマである以上、ある程度想定される筋ですが、主人公がルーレットにのめり込んでいく原因が失恋という形をとっています。
本作でルーレットに手を出す人間は、最終的には負けるのですが、時折勝つ場面もあるのです。しかし、賭けというのは恐ろしいもので、一時の勝ちがむしろ、絶望的な敗北の第一歩になっているわけです。
賭けは、やれば破滅する。それにもかかわらず、その賭けに参加せざるをえないというダイナミズムをドストエフスキーは余すところなく書いているわけです。
なぜ、ゲームは賭けにつながるのか?
将棋の世界にも賭け将棋は存在していました。古文書では、賭け将棋を禁じる規則が見つかっていますし、「真剣士」と呼ばれる、賭け将棋で生計を立てている人たちも存在していました。当初は、純粋な遊戯であったはずのものが、どうして賭けの対象となってしまうのでしょうか?そして、どうして人は賭けに参加していくのでしょうか?
理由は、手っ取り早く稼げるからです。現代的に考えたら、稼ぎたいならしっかり働けということになるでしょうが、多くの人が稼いで蓄財できるようになるのは、資本主義経済が発達しているからです。少し歴史を遡れば、日々の労働は、日々の生計を立てるだけで精一杯で、お金がたまることはありません。しかも、現代と違い身分が硬直的なので、賃金があがる機会もほとんどありません。もちろん、お金があればそういった制度的なものから抜け出る可能性もありますが、お金を貯める手段がないので、実質的には現状から抜け出せないのです。
そういった閉塞感を一気に打破できる唯一の手段が賭けなのです。賭けだけは、ほんのわずかのお金さえあれば、後は運次第で大金を手にすることもできます。だからこそ、多くの人はなけなしのお金を賭けに投じるのです。もちろん、賭けに勝てば現状の境遇を抜け出せるというのは幻想に過ぎません。
まとめ
ドストエフスキーの賭博者を、反面教師として将棋に活かすことはできるでしょうか?
賭けが身を滅ぼす理由は、一つしかありません。それは、「負けを取り戻そうとする」ことです。負けたら潔く撤退できれば、長い目で見て負けは帳消しにできるかもしれません。しかし、短期間で帳尻を合わせようとすると、間違いなく傷口を広げることになります。
将棋も同じで、たとえ賭けをしていなくても、負けたら次は勝ちたいと思うのが人情です。特に、将棋アプリの短時間の切れ負け勝負なら何回でも勝負ができるため、勝つまで勝負を続けがちですが、そういうときこそ、負けが続くものです。
負けを負けとして認め、冷静さを失わないこと。これが、賭けの傷口を広げないコツであり、将棋の負け癖を食い止める唯一の方法です。